旅から帰ってきて、一番鮮明に記憶を呼び覚ましてくれるものは何か。
高画質の写真データだろうか? 位置情報付きのログだろうか?
私にとっては、違う。
それは、雨に濡れて少し波打った紙の感触であり、走り書きした文字の乱れであり、表紙についた新しい傷だ。
私は旅に出る時、必ず トラベラーズノート(キャメル) を鞄に放り込む。
もう何年も使い込んで、色は深く濃くなり、至る所に傷がついている。
だが、その傷の一つ一つが、私がどこへ行き、何をしてきたかの証明だ。
現代は記録することがあまりにも簡単すぎる。
シャッターを押せば、その瞬間は永遠に保存されると思い込んでいる。
でも、本当にそうだろうか?
クラウドサーバーの彼方に消えた数千枚の写真を見返すことが、あなたの人生で何度あるだろうか。
私は、ペンを執り、紙にインクを落とすという行為そのものを大切にしたい。
焚き火の前でノートを広げる。
今日見た風景、出会った人の言葉、そして自分が感じた孤独や安らぎ。
それらを文字にしていく過程で、初めて体験は自分の中に「定着」する。
「書く」ということは、自分の心と対話することだ。
デジタル入力では零れ落ちてしまうような、言葉以前の曖昧な感情も、インクの濃淡や筆圧として紙に残る。
このトラベラーズノートの構造は、極めて単純だ。
一枚の革と、ゴムバンド。それだけ。
だからこそ、自由だ。
チケットの半券を貼ってもいい。押し花を挟んでもいい。スケッチを描いてもいい。
決まった使い方は何もない。
自分が旅した痕跡を、無造作に詰め込んでいけばいい。
革(キャメル)の変化も楽しみの一つだ。
最初は明るい茶色だったのが、陽に焼け、手脂が染み込み、雨に打たれ、次第に自分だけの色になっていく。
それはまるで、自分の皮膚の一部が成長していくようだ。
こいつを手に持つと、過去の旅の記憶が指先から流れ込んでくる気がする。
記録とは、誰かに見せるためのものじゃない。
未来の自分が、今の自分と再会するための手紙だ。
スマホを置いて、ペンを持とう。
不便で、面倒で、愛おしいアナログの記録を始めよう。
そのノートが最後の一ページまで埋まった時、それはあなたという人間の、かけがえのない分身になっているはずだから。
