「ボタン一つで点く明かりなんぞ、味気なくて見てられん。」
結論から言おう。
冬のソロキャンプ、その静寂に釣り合う明かりは、加圧式のケロシン(灯油)ランタンだけだ。
LEDが便利なのは認める。だが、便利さと豊かさは違う。
手間をかけ、機嫌を伺い、ようやく灯るその「生きた火」こそが、凍えそうな夜の孤独を癒やす唯一の相棒になる。
なぜ、わざわざ面倒なランタンを選ぶのか
職人の視点から言わせてもらえば、道具というのは「対話」するためにある。
スイッチ一つのLEDには、対話がない。電池が切れれば終わりだ。
だが、ビンテージランタン、例えば私の愛用するペトロマックスやヴェイパラックスはどうだ。
予熱(プレヒート)不足なら炎上し、加圧(ポンピング)が足らなければ暗くなる。
まるで駄々をこねる子供か、頑固な老人のようだ。
だが、その構造は至って論理的だ。
燃料が気化し、空気と混ざり、マントルの中で燃焼する。
100年前から変わらないこの単純かつ完成された物理法則。
冬の氷点下の森で、シュゴーッという燃焼音と共に暖色の光が灯った時、お前さんは知るだろう。
「自分がこの火を管理している」という、原始的な充足感を。
それが、生きるという実感だ。
現場で泣かないための「儀式」
わしの若い頃の話だ。
意気揚々と買ったばかりのランタンを冬山に持ち込んだ。
予熱もそこそこにバルブを開けたら、マントルごと火だるまになったことがある。
眉毛は焦げ、ランタンは煤まみれ。情けなくて涙も出なかった。
原因は「寒さ」への無理解だ。
冬、金属は冷え切っている。燃料も気化しにくい。
だからこそ、夏場の倍の時間をかけて予熱(プレヒート)をしてやらなきゃならん。
アルコールカップに火を入れ、じっくりとジェネレーターを温める。
この数分間を惜しむ奴に、ランタンを扱う資格はない。
この「待ち時間」こそが、心を森の時間にチューニングするための儀式なんだよ。
メンテナンスこそが愛だ
使いっぱなしは論外だ。
特に冬場はパッキンが硬化しやすい。
帰ってきたら必ず煤を落とし、各部を磨き上げてやる。
その時に使ってほしいのがこれだ。
ただの潤滑油じゃない。ポンプカップの革に染み込ませれば、次のポンピングの手応えが変わる。
錆を防ぎ、真鍮の輝きを保つ。
道具の手入れをしている時間は、次のキャンプへの助走だ。
今の若者はすぐに「買い替え」だのと言うが、使い込んで手に馴染んだ道具には、金では買えない「信頼」が宿るんだ。
それを捨てるなんざ、バチが当たるぞ。
最後に一言
火を入れる瞬間、バルブを回す手の感触。
闇を切り裂く頼もしい光。
手間がかかる? ああ、そうだ。
だが、その手間を愛せるようになった時、お前さんは初めて本当の意味での「キャンパー」になれる。
流行りのギアなんぞ追わなくていい。
親父の代から続くような、一生モノの光を一つ、手に入れろ。
それが、冬の夜を越えるための流儀だ。
