わしから言わせれば、春先に山に入るのに、手入れもしていない靴を履いていく奴は、山を舐めているとしか言いようがない。
結論から言う。雪解けの水と泥が混ざり合うこの時期、お前さんの足を守ってくれるのは、最新の防水フィルムなんかじゃない。時間をかけて革に染み込ませた「油」だ。
履く前に靴を磨け。道具への礼節を欠く人間に、自然の中を歩く資格はない。
わしが長年、春のぬかるみを歩くために選んでいる相棒がこれだ。
Danner Light(ダナーライト)。
そして、このブーツを完成させるためのもう一つの主役が、天然の蜜蝋(みつろう)ワックスだ。
フィルムは劣化するが、革は育つ
なぜ、あえて手のかかる革製のブーツを推すのか。
世の中の若者は、「ゴアテックスがメンテフリーで無敵だ」と勘違いしている。確かにダナーライトの中にも防水フィルムは入っているが、フィルムというのは消耗品だ。どれだけ高価な靴でも、生地が擦れたり、小石が刺さったりすれば、そこから水は無慈悲に浸水してくる。
本当の意味で水を弾き、足を冷えから守るのは、分厚いフルグレインレザー(本革)の層に、しっかりと油分が保たれている状態だけなのだ。
蜜蝋ワックスを革の繊維の奥深くにまで擦り込む。そうすることで、ワックスが目に見えない微細な穴を塞いでくれる。雪解けの泥水に足を突っ込んでも、水滴が革の表面でコロコロと弾き返される。この絶対的な安心感は、油が抜けたカサカサの靴では決して得られない。
防水スプレーをプシュッと吹きかけて終わり?
馬鹿を言うな。そんな上辺だけのコーティングなど、泥の中を10分も歩けば剥がれ落ちる。
手入れという名の「対話」
わしが30代の頃、手入れを怠ったブーツで春の山に入ったことがある。
残雪のトラバースで革が水を吸って重くなり、最終的には凍りついて足の感覚がなくなった。凍傷一歩手前だ。山小屋のストーブにかじりつきながら、わしは自分の愚かさを心底恥じた。「道具が悪い」のではない。「道具に魂を入れていなかった」自分が悪いのだと。
それ以来、わしの春一番の儀式は「ワックス入れ」になった。
ストーブの傍で、人間の体温でワックスを少しだけ溶かしながら、素手でブーツに塗り込んでいく。ウエスの布切れじゃダメだ。指の腹で、革のシワや傷の隙間一つ一つに成分を押し込むように擦り込んでいく。
この時、匂いがいいんだ。
機械油のような無機質な匂いじゃない。ミツバチが森の花々から集めてきた、ほのかに甘い自然の匂い。その油が、かつて生きていた牛の皮にゆっくりと吸い込まれ、再び強い「皮膚」として蘇っていく。これこそが、命の循環だろうが。
塗り終わった後、豚毛のブラシで余分なロウを一気に弾き飛ばす。
ブラッシングの摩擦熱でワックスが均一に広がり、鈍い艶が浮かび上がったとき、そのブーツはただの工業製品から「お前さんだけの相棒」に変わるんだ。
魂の入った道具と歩け
もう一度言う。
春の山を歩きたいなら、安物の使い捨てトレッキングシューズなんぞ買うな。
修理ができ、年月と共に足の形に馴染み、手入れをするたびに強くなる本物の道具を持て。
ダナーライトは、最初は硬くて重いかもしれない。だが、10年後、お前さんの足にぴったりと吸い付くような履き心地になったとき、その傷だらけの革の表面には、お前さんが踏破してきた山の歴史が刻み込まれているはずだ。
道具を手入れする時間は、自分自身との対話だ。
泥を払い、油を入れ、明日の道程を想像する。その静かな時間が愛せるようになった時、お前さんは初めて一人前の野営家になる。さあ、靴紐をきつく結び直せ。春の泥が、お前さんを待っているぞ。
