記憶なんて、曖昧なものだ。
昨日見た夕焼けの色さえ、今日にはもう別の色に塗り替えられている。
スマホでパシャパシャと何百枚撮っても、見返すことのないデータの墓場が増えるだけ。
「記録」はしていても、「記憶」にはなっていないんじゃないか?
そんな虚しさを感じたことはないだろうか。
俺もそうだった。戦場カメラマン時代、シャッターを切るのは「証拠」を残すためだった。
けれど、旅に出てからは違う。
自分の心が動いた「一瞬」を、逃さず切り取りたいと思うようになった。
でも、一眼レフは重すぎて「構える」という動作が壁になるし、スマホじゃ軽すぎて「撮る」という意識が希薄になる。
だから俺は、Leica D-Lux 7 (あるいは RICOH GR III) をポケットに入れている。
こいつらは「コンデジ」という枠を超えた、鋭利なナイフだ。
スイッチを入れてから撮れるようになるまでの速さ。
片手で完結する操作性。
そして何より、吐き出される画(え)の「空気感」。
GRのハイコントラストモノクロームで切り取る路地裏の影。
Leicaの艶やかで深みのある色彩で撮る、旅先の朝食。
これらは、その場の匂いや湿度まで写し撮ってくれる。
ファインダーを覗く(あるいは液晶を見る)動作一つで、世界と対峙するスイッチが入るんだ。
「スマホで十分」と言う奴には言わせておけばいい。
これは効率の話じゃない。自分の人生に対する「解像度」の話だ。
わざわざ専用機を持ち歩き、露出を補正し、シャッターを切る。
その一手間が、目の前の景色を「ただの風景」から「俺の景色」に変える。
孤独な旅路において、カメラは唯一の対話相手かもしれない。
あなたのポケットにも、ナイフを一本忍ばせておけ。
世界は残酷なほど速く流れ去っていく。
その流れに抗い、あなた自身の「生」を刻みつけるために。
シャッターを切れ。
その一枚が、いつかあなた自身を救う日が来るかもしれないから。
